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安政南海地震津波と昭和南海地震津波の浸水域
 安政南海地震津波当時は、広村の堤防がなかったため、現在の広川町の中心部が津波の直撃を受けています。村全体が浸水し、死者36人の大被害をこうむりました。
 その92年後、昭和21年12月21日の夜明け前4時20分項に発生した昭和南海地震では、約30分後に高さ4〜5メートルの大津波が広村を襲いました。昭和南海地震では赤色で示した広村の堤防により、津波の直撃は免れました。しかし、堤防にさえぎられて南西側にエネルギーを集中した津波は、江上川とその支流の小川にそって広村に侵入し、堤防の外側(南西側)に建てられた耐久中学校や紡績工場とその社宅を襲い、さらに村落の背後の田んぼに流れ込み、逃げ遅れた人々を押し流しました。この時の広村の死者22人の多くはこの付近で亡くなっています。このような地形の条件による津波のふるまいについて十分考慮して、防災対策を立てる重要性が改めて認識されました。